夜間の灯火義務はいつから始まった?

 江戸の庶民が夜間に出歩く時は、須らく提灯を使うイメージでしたが、当時の蝋燭は高価で庶民が気軽に使えるモノでは無かったようです

引用 クリナップ 江戸散策 第58回

香蝶楼豊国一陽斎豊国両国夕涼ミの図

 現代は夜間に自動車やオートバイ、自転車等を運転する時は灯火の点灯が義務付けられています。いつの時代から夜間灯火が義務付けられたのか、明治期の法規制について交通手段別に古い順からまとめます

 明治2年11月23日、東京府の御布告で、午後5時以降に無提灯で通行する者を召し捕る旨の通達が出ています

参照:明治6年 憲法類編明治2年11月23日御布告
 「無提燈通行禁止ノ事」
 「夜五時ヨリ無提燈ニテ往来致シ候者於有之ハ見受次第速ニ可召捕」

 現代は歩行者に灯火携行を義務付ける法令は無く、都道府県警が反射材やライトの携行を呼びかける ”お願い” に留まります。御布告がいつ解除されたのか、このような規制が繰り返されていたのか等は別途調べる必要があります

 明治3年11月19日の御布告で、馬車や騎馬の夜中無灯が禁止されています

明治6年 憲法類編、明治3年11月19日御布告 より
 「馬車騎馬夜中無燈禁止ノ事」

Source ; 明治7年 違式詿違御条目図解

禁止事項の挿絵

 人力車は明治3年に東京府日本橋で営業が始まります。明治6年3月25日・日本省第45号布達において夜間に無提灯で乗馬や車等を曳くことが禁じられ、人力車もこれに該当したと考えられます

参照:明治6年 憲法類編明治6年3月25日布達
 「夜中無提燈ニテ諸車ヲ曳キ又ハ乗馬スル者」

Source ; 明治7年 違式詿違御条目図解

禁止事項の挿絵

 人力車を明記した規則は、明治14年12月7日・東京府人力車取締規則が最初です。但し街灯があれば灯火は不要だったようです

参照:明治14年 警視庁 甲第52号 人力車取締規則 第21条
 「街灯ある地を除く外夜中 燈火なくして車を疾駆すべからず」

 明治31年6月1日警視庁令第20号第2条で夜間走行における灯火の点灯を義務付けたのが最も古い規制と思われます

 自転車は江戸時代末期・慶應年間に輸入が始まり、自動車が初めて輸入された明治31年には全国の自転車台数は約27,000台に上ります。その殆どは米国からの輸入でした

文久元年(1861年) 世界初ペダル付き自転車ミショー型 フランス 写真はレプリカ・自転車博物館

 自転車は明治初頭より安全性が問題視され、大阪府は明治3年に道路上での使用を禁じる自転車取締府令を出します。明治5年には悪質な違反者の自転車を没収する旨の取締鋼令を出しますが、守る人はあまり居なかったようです

引用元 自転車文化センター 日本における自転車の交通安全対策の変遷

 自動車の夜間無灯火を禁じた最初の法令は明治36年の愛知県令(愛知県・乗合自動車営業取締規則・県令第61号)です

 この年、大阪で第5回内国勧業博覧会が開催されます。自動車を目にした起業家達が ”乗合自動車” の営業許可を地元警察に申請し、愛知県を皮切りに同年に長野県、京都府、富山県などが続きます

明治36年 鳴戸源之助著 第五回内国勧業博覧会紀念写真帖

明治36年 第5回内国勧業博覧会、アンドルス館の自動車

 明治政府は自動車の取締規則について、各地の貧富や諸事情に合わせて府県単位で規則を制定する方針であり、自動車関連の法令が全国一律で制定されたのは大正8年(1919年)の自動車取締令と道路構造令からです

 それまで自動車の名称が統一されず、”自働車”、”馬なし馬車”、”自動荷車” などの表現が使用されました。明治44年設立の日本最古の国産自動車メーカー ”快進社自働車工場” の社名が、大正7年に ”快進社” に変更されたのは、自動車の名称統一と関係があるのかも知れません

 灯火の法令が制定された時代に何が起きたのか、なぜ法令が必要になったのか知りたいところですが、残念ながら理由を記した資料に巡り合えていません。現代も法律や規制の裏には様々な思惑やしがらみがあり、簡単に説明できないことが殆どです

 100年以上も前の法令の背景や理由を知るのは容易ではありませんが、様々な文献情報から時代考証を行う作業は意外に面白いものです。当時の人々の関心事が伺え、特許には問題や不満の解決手段としてのアイデアが記載されています

 過去を調べると未来が分かると言いますので、過去文献を調べながら灯火の未来を想像します

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