世界各国の特許庁には、100年以上も前に出願された前照灯のアイデアが多数収められています。光源がアセチレンガス灯から電球に置き換わったばかりの時代、特許の多くは前照灯の取り付け方や電球の固定方法などでした
そのような中で、21世紀の前照灯技術を先取りしていたのが ”Evan Paul Bone” という人物です。特許データベースによれば、20世紀の前半から中頃にかけて約40年間に渡り、前照灯の特許を出願しています
彼は前照灯にプロジェクション技術を用いることを思い付きます。そして灯具内部の遮光板を工夫して配光を最適化する開発に取り組みました。特許の多くは権利期間を遥かに過ぎた20世紀末になり、ようやく次々と実用化されました
慧眼のBone氏とは何者だったのか? 商業的には成功したのか? どのように40年間も前照灯開発に取り組んでいたのか? Bone氏は1883年生まれ、米国オハイオ州シンシナティのエンジニアでした
Bone氏の特許
1916年、最初の特許
Bone氏の最初の特許は前照灯のレンズ光学系です。ライト表面のレンズを上下に複数領域に分割し、1つ1つに仕切り板を兼ねた遮光板を配置し、個々がプロジェクタのようにカットラインを形成するアイデアでした


US1280953 「HEADLIGHT」 出願 1916年10月27日
この特許はマルチ・プロジェクション光学系のルーツであり、2001年に販売された日産シーマのガトリングビームや、2021年に販売されたルシッドエアのMLA(Micro Lens Array)光学系で実現されています
1920年、カットライン位置を調節可能なプロジェクタ光学系
1920年(大正9年)、プロジェクタ光学系の内部にある遮光板を可動機構とし、カットライン位置を調節するアイデアを出願しています。当時、既に映写機にはプロジェクタ光学系が使用されていましたが、前照灯にプロジェク光学系が採用されるのは、半世紀後の1969年まで待たなければなりません


US1389291 「HEADLAMP」 出願 1920年1月8日
1923年、プロジェクタ光学系の改良
1923年(大正12年)、プロジェクタ光学系の改良仕様を出願します。内部の遮光板を分割し、各々を異なる透過率の材質で構成する特許(US1598043)や、内部遮光板を楔形ガラスで構成する特許(US1598044)により、遮光領域にも弱い光を照射できるようにしています


US1598043 「HEADLAMP」 分割出願 2023年4月23日
プロジェクタ光学系の明瞭なカットラインは平坦路においてグレア抑制に有効ですが、坂道や凸凹道で車体角度が変化した場合、対向車にフラッシング的なグレアを与えたり、遠方の見え難さにつながります
この問題は現代でも前照灯の改良すべきポイントの1つですが、プロジェクタ光学系が実用化される遥か以前に、Bone氏は明瞭なカットラインの弊害に気付き、具体的な解決策を模索していました
1928年、ハイビーム・ロービーム切替え式のプロジェクタ光学系
1928年(昭和3年)、プロジェクタ内部の遮光板をソレノイドで大きく可動し、ハイビームとロービームを切り替えるアイデアを出願します。この技術が量産車に用いられるようになったのは、1999年のベンツCLの2灯式HID前照灯からでした

US1761811、「HEAD LAMP」、出願 1928年2月17日
1930年代~1940年代
この時期は前照灯ではなく、標識類の再帰反射素子(Reflex Reflector)やサウンドジェネレータなどを数件出願しています。出願人には特許毎に異なる企業名が記載されており、その企業にBone氏が雇用されていたか、又はBone氏が特許権を譲渡したと推測されます
1950年、配光可変型 グレアフリーハイビーム
1950年(昭和25年)に現在のADB(Adaptive Driving Beam、配光可変ハイビーム)の原形となるアイデアを出願しています。対向車を光で検知するセンサーと連動して、対向車の方向に光を出さない配光可変ハイビームシステムです。ADBが実用化されたのは2010年ですから、60年前に考案していたことになります

US2562225 「HEADLIGHTING SYSTEM」 出願 1959年7月31日
驚くべきことにBone氏は、電子デバイスが十分に開発されていない時代にテスト車両を製作し、実験を行っていました。Popular Mechanics誌 1956年8月号 には、興味深い発明の1つとして「The Bone-Midland lamp」が紹介されています。Midlandとはシンシナティの車両金融会社「Midland Discount Company」で、Bone氏はMidland社に所属していたようです

フォトセル:運転席、 実験ランプ:グリル部
実験ランプのプロジェクタ光学系は、内部の遮光シェードに可視光のみをカットするバンドパスフィルターが使用されました。フォトセルは可視光と赤外光に感度を有している為、対向車への可視光をカットしつつ赤外光はそのまま照射することで、対向車は自車を検知し続けることが可能になっています
1956年12月、ほぼ同内容の特許をMidland社がカナダに出願(CA535017)しています
1966年、横長配光を形成するプロジェクタ光学系
1966年(昭和41年)、プロジェクタ光学系の配光を左右に広げる為の反射鏡形状が英国特許庁に出願されました。Bone氏は1959年に逝去していましたが、Midland社の経営者が出願しています

GB1085473 「Head light system」 出願 1966年6月20日
最初の出願1916年から50年後、Bone氏は没後7年を経てもなお、発明者としての名前を刻み続けていたことになります
Bone氏に関する情報
検索情報、時系列
1883年 生誕 (逝去時の年齢から逆算した推定)
1905年 22歳 オハイオ州立大学卒業 (図1)
1908年 25歳 シンシナティ名鑑に ”Mechanical Engineer” と記載
1913年 30歳 エジソン研究所にFilm関連の発明品を送付
(エジソン研究所は発明の問題点を指摘してサンプルを返却)
1916年 33歳 前照灯特許を初めて出願
1924年 41歳 Bone特許を購入したEdmonds & Johns社が新型ランプを発売(図2)
1949年 66歳 米国自動車協会・夜間視認性委員会の委員(委員会への加入時期は不明)
1956年 73歳 同・夜間視認性委員会委員、Midland社所属の前照灯研究者として参加
1959年 76歳 シンシナティ・ビバリーヒルズで逝去。Markland Damの技術者と紹介(図3)

https://osupublicationarchives.osu.edu/?a=d&d=MKO19050101-01.2.24&e=——-en-20–1–txt-txIN——-
図1 オハイオ州立大学・公式学生年鑑 MAKIO(魔鏡)1905年、P56

図2 1924年1月31日、Western Star紙 P1

図3 訃報 1959年9月1日、The Cincinnati Enquire
Bone氏とは何者だったのか?
Bone氏の生誕地は不明ですが、オハイオ州立大学を卒業後にシンシナティで活動したエンジニアでした。機械技師や土木技師、光学技術者、前照灯研究者などの様々な肩書を持ち、全米自動車協会などの複数の工学技術者団体に所属しました
20代は映写機の開発を手掛け、30歳の時にエジソン研究所に自らの発明品を送付して協業を打診します。その知識を活かして30代~40代前半は前照灯開発に取り組みます。40代後半以降は標識灯や音響機器を開発し、60代以降はシンシナティの自動車金融会社のMidland社に所属して配光可変型グレアフリーハイビームの研究に取り組みます
Bone氏の訃報には、オハイオ川のマークランドダム(1959年建設開始)の初期の技術者と記載されていることから本業は土木技師だった可能性があります。特許に記載されたような前照灯の開発と2足のワラジだったのかも知れません
前照灯に関する特許や開発内容を調べた限りですが、Bone氏は未来を正確に予見することが出来ていた天才でした。未来を先取りし過ぎたが故に、特許権の有効期間を活かすことが出来なかったのは残念ですが、70代になっても創造的な仕事に従事していることから、エンジニアとしては最高の人生を送ることが出来たのではないでしょうか
米国女性殿堂、Betty Bone Schiess
最後に前照灯とは関係の無い話ですが、Bone氏の一人娘 Betty Schiess (1923年4月3日ー2017年10月20日)について
彼女は聖職者としての道を歩み、男性で占められていた司祭司教のガラスの天井を打ち破り、米国初の女性司祭に就任します。その後は国際女性牧師協会の会長を務め、1994年に米国女性殿堂入りを果たしています

Betty B. Schiess
Bone氏の聡明さは娘に引き継がれていたようです。彼女の詳細は Wikipedia: Betty Bone Schiess をご覧ください