戦前の沖縄は左側通行であったが、大東亜戦争の敗北後は米国統治下で右側通行になり、1972年の本土復帰を経て、1978年に左側通行へ戻されている
右側通行から左側通行への変更は、信号機や行先表示、標識、道路ペイント、バス停などの交通インフラを全て修正する必要があるが、経済活動や日常生活に影響を与えないようにしなければならない
右側通行時代の沖縄県那覇市
当時、沖縄には500以上の信号機と3万以上の道路標示があり、それらを一夜(29日PM22時~30日AM6時)で左側通行用に切り替えることを目標とし、スウェーデンの先例(1967年に交通方法変更)を参考に入念な準備と県民教育が行われた
歴史的、国家的な大事業と称された一連の取り組みは、切り替え予定日 ”7月30日” から ”730(ななさんまる)” と呼ばれた
NHKラーニング 沖縄返還 右側通行が左側通行に!一夜の大転換ドキュメント
この時、バスやタクシーは全車両が右ハンドル車両に交換(又は改修)され、約25万台の自家用車については前照灯が左側通行用に付け替えられた。これら全ての交換は国庫負担で実施された
ここでは、前照灯付け替え事業における防眩対策と事前準備をまとめる
交通方法変更で生じる前照灯の問題
前照灯のロービームは、路肩の歩行者を視認し易くするために、路肩側の照射範囲を少し上に向けた ”非対称配光” になっている。そのため右側通行では ”右配光” 、左側通行では ”左配光” の前照灯が使用される
左側通行で右配光前照灯を使用すると、対向車ドライバーにまぶしさを与える為、全車両を左配光前照灯に付け替える必要が生じた
交通方法変更に伴う前照灯グレアの問題
前照灯の付け替えを呼びかけるポスター 女性:五十嵐元子さん
右配光前照灯 → 左配光前照灯への付け替え
沖縄の本土復帰から1年後の1973年4月、運輸省は日本自動車工業会(以下、自工会)に対して交通方法変更による車両側対応について検討を依頼、ダイハツ工業の寺西主査が部会長に就任した
翌月、自工会は日本自動車部品工業会(以下、部工会)に対して前照灯防眩対策の検討を依頼し、ライトメーカーの小糸、東芝、市光、スタンレーの4社が検討を開始する
当初、最大30万台と試算された自家用車の前照灯を、一夜で左配光用に付け替えることは不可能であるため、切り替え日の前に一定期間を設け、左配光前照灯への付け替え作業を進めることになった
課題は7月29日までの期間、左配光前照灯による対向車への防眩対策であり、複数案のうち、前照灯に防眩用マスキングテープを貼付する方法が有力とされた
防眩対策案
・光軸調整
・抵抗回路による減光
・マスキングテープ貼付(7月29日まで貼付、7月30に剥離)
ライトメーカー4社は50種類に及ぶ前照灯のマスキングテープ貼付位置を検討、1974年10月に三鷹市の運輸省安全公害研究所で関係機関が集まり夜間合同評価を実施、マスキングテープ貼付方式で合意される
1977年4月にライトメーカー4社による沖縄前照灯対策委員会が設置され、付け替え用前照灯の発注、納品、保管入出庫、旧品廃棄等の業務を開始
1977年11月末に運輸省通達が出され、全額国庫負担による前照灯付け替えとマスキングテープ貼付の対策方法が開示され、12月1日から前照灯付け替え作業の予約がスタート
前照灯の付け替えを呼びかける広告
1978年1月1日から新車への左配光前照灯装着とマスキングテープ貼付が実施され、2月1日から在来車の前照灯付け替え作業が開始された
沖縄県自動車整備振興会の指定整備工場による前照灯付け替え作業
7月30日時点で付け替え作業が未実施のクルマは、逆マスキングテープを貼付する暫定措置が取られ、猶予期間の9月30日までに左配光前照灯へ付け替えるよう促された
防眩措置
新車 : 1月1日以降、「左配光前照灯+マスキングテープ」で納車
在来車: 2月1日以降、「左配光前照灯+マスキングテープ」に付け替え
在来車: 7月30日に付け替え未完了のクルマには逆マスキングテープを貼付
左: 防眩用 マスキングテープ
右: 前照灯防眩対策済ステッカー
付け替えの進捗は5月末で59%、7月29日時点で97.5%の自家用車が完了、9月末に99%に到達
沖縄730の国庫負担 約210億円のうち1割の約21億円が前照灯付け替え事業に投入された
防眩用マスキングテープの開発
前照灯に貼付されるマスキングテープは、沖縄の高温高湿環境下で直射日光や塩分、前照灯点灯時の高温に耐え、且つ遮光機能を安定維持することが求められた
マスキングテープへの要求
・光を透過しないこと
・貼付に特に技術を要しないこと
・ガラスに対し接着力があり、且つガラスを変質させないこと
・対候性、耐久性を有すること
・100℃程度の温度に耐えうること
出展:1979年 総理府・沖縄県交通方法変更の記録
部工会は上記要求を満たす市販テープを各種検討したが選定に至らず、1975年に日本粘着テープ工業会に開発を依頼、主管企業の菅原工業が担当し、前照灯への貼付と評価は小糸製作所が担当した
耐候性と放熱性に優れるアルミテープをベースに、手で剥離する際の千切れ防止や、前照灯表面への接着剤付着の防止等に取り組み、約1年を掛けて ”アルミ層+ガラス繊維入りシート+シリコン接着剤” の3層構造テープを完成させた
前照灯へマスキングテープを貼付する作業員
前照灯付け替え事業の経緯
1973年 4月 運輸省が自工会へ、交通方法変更への車両側対応の検討を依頼
1973年 5月 自工会が部工会へ、前照灯の防眩対策の検討を依頼
1973年 6月 部工会ライトメーカー4社が前照灯マスキングテープ貼付位置の検討を開始
1974年10月 交通公害研究所構内の夜間合同評価でマスキングテープ貼付方式を選定
1974年10月 前照灯付替技術委員会 発足
1975年 5月 部工会から日本粘着テープ工業会へマスキングテープ開発を依頼
1976年 5月 マスキングテープ開発が完了
1977年 3月 マスキングテープを貼付した前照灯を用いたテスター評価を実施
1977年 4月 ライトメーカー4社による沖縄前照灯対策委員会が発足
1977年11月 運輸省通達、左配光前照灯への付け替えとマスキングテープ貼付を発表
1978年 1月 新車にマスキングテープが貼付された左配光前照灯の装着を開始
1978年 2月 在来車にマスキングテープが貼付された左配光前照灯への付け替えを開始
1978年 7月 交通方法変更日(30日)に前照灯マスキングテープを所有者が剥離
1978年 9月 左配光前照灯への付け替え猶予期間終了
その他
1945年 米軍占領時の交通方法変更:左側通行→右側通行
沖縄は1945年の米軍占領後に左側通行から右側通行になり、右側通行が法令化されたのは1947年になるが、当時の交通方法変更がどのように実施されたかは良く分からない
戦時期の沖縄に何台の車両が走行していたかさえも分からず、昭和24年の沖縄県警調査の車両58台という記録から、台数は非常に少なかったと推測される
モータリゼーションの前で交通インフラが未発達であったことと、壮絶な沖縄戦の大混乱と米国式社会への変革を余儀なくなれた状況を鑑みれば、記録があまり残されていないのは致し方無しと思う
一国二交通方法の暫定期におけるクルマの往来と前照灯防眩対策
1972年本土復帰から1978年までの6年間、本土と沖縄の間で往来が自由になる一方、交通方法が異なる ”一国ニ制度” の状態になったことで、車両の行き来に際して前照灯の防眩対策が必要になった
当時の沖縄県警は来沖(らいちゅう)に際し、沖縄上陸と同時にクルマを自動車販売店や整備工場等に持ち込み、右配光前照灯への付け替えと光軸調整を実施することを求めた
沖縄730の前照灯付け替えは国庫負担で実施されたが、それ以前の往来における前照灯付け替えは自己負担であった
730作戦で取り外された右配光前照灯の廃棄
右配光前照灯(シールドビーム)が廃棄処分される様子