花自動車、広告宣伝車の歴史と灯火

 明治末期の国内自動車登録台数は僅か200台余り。現在価値で1台1億円に迫る新車価格にも関わらず故障は当たり前でした。交換部品さえ手に入らない代物に対して、庶民は ”金持ちの道楽” と揶揄しましたが、大正時代に入ると米国車の輸入が急増します。大正末期には2万台を超えて、道路を自動車が行き交うようになります

 自動車の品質が大きく向上したことで、自動車は ”金持ちの道楽” から ”実用品” となり、様々な用途に使われるようになります。人々を運ぶ乗合営業や荷物の運搬の他、人目を引く特徴を活かした ”花自動車” や ”広告宣伝車” が出現します。それらは夜間に様々な光で彩られました

 黎明期の自動車の一見奇妙な使われ方について取り上げます

 花自動車とは祝賀行事や催事のパレードを彩るために車体を花飾した自動車のことです。仮装隊や音楽隊と隊列を組んで行進し、夜間は提灯行列と共に提灯を灯して行進しました

1907年  ハワイ・花自動車   Source ; 練習艦隊遠洋航海写真帖

 日本で初の花自動車は定かではありませんが、1903年に三越呉服店が導入した日本初の配達車「クレメント号」が、日露戦争(1904年3月~1905年9月)の勝報の度に ”花自動車” として市中を走行したとの記録があります。1905年の旅順奉天陥落祝賀にも複数の花自動車が参加しました

1903年 フランス製の商用自動車「クレメント号」

 祝賀会や催事が夜間に及ぶ場合、花自動車は灯火で車体を照らします。1915年サンフランシスコ博覧会における日本の花自動車には提灯が装着されています

1915年 サンフランシスコ博覧会の日本茶寮・花自動車 Source ; 茶業界1915年12月号

 この当時は花電車も人気がありました。鉄道は明治初期に開通していましたが、蒸気機関車については客車を花飾したという記録を見つけることが出来ません。都市間を運行する蒸気機関車のルートは中心街を外れていたので、人目を引く効果が期待できなかったのかも知れません

Source ; 1905年 東京地理教育電車唱歌・表紙

 明治後半に電車が導入されると各都市の中心街を路面電車が運行するようになります。そして花自動車の出現と同じタイミングで花電車という言葉が使われ始めるようになります

Source ; マツダ新報 大正14年6月号

大正天皇 銀婚式奉祝 花電車 1925年

 広告宣伝車とは車体全体を看板として利用し、道行く人に商品を宣伝しながら走行する自動車のことです。日本では1909年、ビール瓶に模した「ナンバーワン自動車」が都内から東北に掛けて宣伝行脚したことが有名です

Source ; キリン歴史ミュージアム

 明治屋の宣伝カー 「ナンバーワン自動車」

 広告の歴史は古く、古代エジプトには既に広告があったとされます。広告は人目に付かなければ意味がありませんから、発明されたばかりの自動車は物珍しく広告媒体として最適でした

 日本では自動車が一台も走っていなかった1897年、”英国商業雑誌2月号” には、自動車が人や荷物を運ぶことなく、広告媒体としてロンドン市内をただ疾走することを嘆く記事が掲載されています

 1915年の雑誌 ”今日の広告学” は、欧州の自動車が ”活動広告” として利用されていると紹介しています。馬車で同様の広告を施しても誰も見向きしないとし、自動車全体をタイヤやカメラ、コップなどの商品に模して走行することで大勢の注目を集めることが出来ました

 1930年3月24日、東京で関東大震災復興を祝う復興祭が開催されました。翌25日には広告祭が開催され、100台を超える広告宣伝車が行進しました

1930年 東京復興祭の仮装自動車、仮装隊 (抜粋)  Source ; 広告グラフ昭和5年

 1931年の照明学会誌に、ロンドンの企業が移動電気サインとして、積載量2トン半の自動車の側面に4.2m×1.3mの広告を取付け、2,688個の電球を用いたとの記載があります。現在のLEDディスプレイ・トラックの先駆け的な存在で、英国各地の訪問先では夜間の電気サインを一目見ようと大勢の人が取り囲みました

https://www.lutontoday.co.uk/topic/london

 1930年代はネオンサインも一般に普及した時代です。世界中の繁華街がネオン街に変わり、広告宣伝車にもネオンサインが使われるようになりました

Source ; Everbrite  https://www.everbrite.com/our-history/

1930年代、ウィスコンシン州ミルウォーキー EverBrite社

 現代の広告宣伝車の主流は、荷台バンボックスの側面や後面に広告を表示したアド・トラックです。夜間は内照式もしくは外照式で広告をライトアップし、街を行き交う人達の視線を集めます。アメリカや中国など海外でも運行されていますが、欧州では認められた灯火器以外の装着は原則出来ないので、アドトラックを夜間に走行させることはできません

 日本ではアドトラックのLEDディスプレイは道路運送法の ”その他の灯火” に分類されます。最大光度は300cd以下、装着部位に応じて灯光色の制約があり、光度や明るさの変動は認められていません。明るさが300cd以下に抑えられていれば眩しさを感じないはずですが、実際のアドトラックはかなり眩しいようです

引用 ; https://www.ledlemedia.com/led-video-truck/

 実は ”その他の灯火” には取り付け個数の規制がありません。”トラック野郎” に代表される電飾トラックは後付け灯火を多数装着していますが、個々の灯火が規定を満たしていれば車検を通すことができます。アドトラックのLEDディスプレイの場合は、各画素のLED1つ1つを ”その他の灯火” と見なし、各LEDが 300cd以下の明るさを満たせば合法という主張が出来てしまいます

LEDディスプレイ拡大、個々のLEDが1個の灯火という解釈

 2024年5月、LEDディスプレイを搭載するアドトラックの光害について、国交省に対して東京都を含む関東地方の自治体が「LEDディスプレイは ”その他の灯火” に該当するが、光度300cd以下が守られていない」という旨の改善要望書を連名で提出しました

要望書:広告宣伝車で使用されている灯火装置について

 国交省がどう動くか分かりませんが、法律で規制が強化される前に業界団体が先んじて自主規制を行うケースは多々あります。広告宣伝トラックの業界団体は、2024年3月1日に設立された一般社団法人・日本屋外移動広告協会(JOMAA)のようですが規模が小さく活動実態は不明です。一部のアドトラックによる光害がクローズアップされているだけであれば、業界内で解決していただくことが最良に思います

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