前照灯が眩しいと言われ始めたのは100年以上も前、20世紀初頭の自動車黎明期まで遡る
それ以前、19世紀の前照灯は馬車用のロウソクやランタンが用いられ、明るさは数カンデラ程度で眩しく無かった。遠くを照らすことはできず、周囲に自車の存在を知らせる役割を果たしていた
20世紀に入り、アセチレンガス灯にリフレクタやレンズなどが組み合わせられる。明るさは数千カンデラに向上し、数10メートル先を照らせる前照灯が誕生する。目には眩しいが自動車の台数が少なく、眩しさを感じる頻度はまだ少ない
1910年を過ぎると、フォードT型に代表される安価な自動車の大量供給が始まり、街中を走行する自動車台数が急増、互いの前照灯で眩しい思いをすることが多くなる

ニューヨーク5番街の変遷
左:1900年 ほぼ全て馬車 右:1913年 ほぼ全てクルマ
当時のアセチレンガス灯はハイビーム機能のみで、走行中に点消灯を行うことが出来ない。眩しさの問題が増え続ける中、1910年代前半に電球型前照灯の普及が始まると、最大光度は20,000カンデラを超え、直視困難な眩しさを対向車や歩行者に与えるようになる
交通量は増大を続け、やがて眩しさが我慢の限界を超える。1910年代半ば、マサチューセッツを皮切りにニューヨークなど複数都市で眩しい前照灯の使用が禁止される。自動車メーカーは対策として減光や、光軸を下側に傾けることが可能な前照灯を開発する
1917年のコーニング社の広告は、前照灯で照らされた歩行者が眩しい素振りを見せ、前照灯を下向きにすることで眩しさを抑制できることをアピールする

1917年コーニング社広告 左:通常照射 右:下向き照射
その頃の日本は大正時代。自動車産業は誕生する前で、国内を走行する数千台の自動車は輸入車で占められていた。日本照明学会が前照灯の眩しさの研究を進めるも、独自の解決策を見いだせない
一方、米国は数百万台の自動車が走行する世界一の自動車工業国となり、前照灯研究も最先端にあった。当時の特許には、映写機の原理を応用したプロジェクション式の光学ユニットで照射範囲を可変するアイデアが出願されている


US1389291 「HEADLIGHT」 出願 1920年1月8日、発明者 E P BONE
黎明期を過ぎても前照灯光源の進化は止まることが無く、前照灯の明るさは増大を続ける。その都度 ”眩しさ” が問題視され、対策が施されてきた
・1970年代、ハロゲンバルブ普及 ⇒ ハロゲン装着車に前照灯ウォッシャー義務付け
・1990年代、HIDバルブ登場 ⇒ HID装着車に自動光軸調整システム義務付け
・2020年代、LED普及、光度増 ⇒ 全車に自動光軸調整システム義務付け
現代の前照灯は上方に漏れ出る光を抑制し、大抵の道路環境であれば他車や歩行者に眩しさを与えることは少なくなっている。一方、光軸の調整不足や道路に起伏がある場所では眩しさを抑えられず、この問題は100年前から変わっていない
前照灯の歴史は、視認性確保と防眩という二律背反との戦い。夜間走行の安全と快適を両立させる試行錯誤は今も続いている
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前照灯技術の変遷について
前照灯開発の挑戦と挫折の歴史について