馬無し馬車の夜、ランタンと警鈴の音

 明治時代の後半、海外から自動車がようやく国内に持ち込まれるようになった頃、自動車はまだ ”馬無し馬車、horseless carriage” 等と呼ばれていました

 街を行き交う自転車や人力車、馬車などの乗り物は既に ”夜間無灯禁止” が定められていたので、馬無し馬車の前後にはランタンなどの灯火が装着されます

 この時代の馬車や自動車の様子は、多くの記録写真に収められていますが、夜間や灯火の様子を撮影した写真は少なく、色や音の情報もありません

Source ; はとバス三十五年史 

明治33年 馬車鉄道 

 国内最初期の自動車灯火はどのように使われたのか。「日本自動車史の資料的研究・第1報」によれば、馬車は車体前面両側に白色硝子灯を備え、自動車は同位置に青色硝子灯を備えるよう取締令で定められています。夜間は灯火の色で馬車と自動車を見分けていたようです

 自動車を夜間に走らせる場合は、自動的警鈴の装着が義務付けられます。灯火だけで自車の存在を示すのでは無く、警鈴の音を利用して周囲に注意を促し、衝突防止に努めていたことが伺えます

 馬無し馬車の時代、灯火の役割と位置付けを理解するには、自動車や自転車、人力車等が発していた音と往来の喧噪を知ることも大切です。ここでは、当時の乗り物が発する音をまとめます

 日本に自転車が初めて持ち込まれたのは江戸末期。それから30数年後の20世紀初頭になると、国内自転車登録台数は3万台近くに増加します

1899年 雑誌「流行」  米国クレメント社・自転車

 当時の法律は、人々が行き交う往来を自転車が走行する時は警鈴(ベル)を鳴らすよう定めています。雑誌の記事には「自転車が流行し、都下の至るところ警鈴の音を聞かないことが無い」と記されます

1899 日米通商雑誌 ヒルブラス会社
1899 日米通商雑誌 ベビン兄弟製造会社

自転車用の警鈴

 警鈴を鳴らしながら疾走する ”流行りの自転車” に動じない歩行者も多く、「歩行者が警鈴に反応しないので、足元に癇癪玉(かんしゃくだま)を投げつけないと往来を走行できなくなるかもしれない」との嘆きも記されています

 現在の自転車は道路交通法第54条で、警音器(ベル)を無闇に鳴らすことを禁じられていますが、昔の自転車は、人や車が居るところでは兎にも角にも安全の為に警鈴を鳴らしていました

 明治3年、東京府日本橋で人力車の営業が始まったとされます。初期の人力車は鉄輪で未舗装路を走行した為、家の中に居ても、街道を走る人力車の ”ガタガタ” という音が聞こえたそうです

 明治14年12月の東京府人力車取締規則は、往来や街角、橋の上を走行する時、車夫は ”掛け声” を発すべしと定めます。「どいてください」などの声掛けや、「ホイホイ」「エッサ」等の駕籠かき由来の発声もあったようです

https://www.bunka.pref.mie.lg.jp/rekishi/kenshi/asp/arekore/detail99.html

 人力車の営業は昭和20年代後半まで続けられますが、最も盛んだったのは明治10年代です。その後は自転車の増加と乗合自動車の登場により徐々に衰退していきます

 黎明期の自動車は、その突出したスピードから危険な乗り物と見做され、安全を確保する為に様々な制限と規制が加えられます。英国は赤旗法で速度を歩行者以下に制限し、シカゴは公道走行を禁止し、米国マサチューセッツでは車輪が回転する度に鐘を鳴らす仕組みを義務付けようとします

 現実的な解決策として警鈴(ベル)や警音器(クラクション)を鳴らし、周囲の歩行者や馬車に注意を促すことが義務付けられます

Source ; Peugeot

1890年~1891年 PEUGEOT TYPE2ハンドルに警笛を装着

 国内では明治30年代に海外から自動車が持ち込まれると、乗合自動車の営業規則として「愛知県乗合自動車取締令」が制定され、他の各地も同様の取締令を制定します

 いずれの取締令も警鈴の装着を義務付けており、警鈴を使用する状況を細かく定めています

1903年、富山県乗合自動車営業取締規則
 ・進路前方に歩行者や車馬がある時は20間(約36m)の距離で警鈴を鳴らすこと

 ・往来雑踏、街角、橋上等を通過する時は絶えず警鈴を鳴らし徐行すること
 ・坂道を下る時は必ず制動器を用いて絶えず警鈴を鳴らし徐行すること
 ・前車を追い越す時は警鈴を鳴らすこと
 

 取締令を見る限り、人や馬車が往来する街中では警鈴を鳴らし続けて走行していたようです。市中を走行する市街電車も同様で、車掌は足踏み式の警鈴を絶えず鳴らしています

夜は灯火と自動的警鈴

 愛知県や他府県の自動車取締令は、夜間は警鈴とは別に自動的警鈴の装着を定めます

 取締令には自動的警鈴の使用条件について記載はありませんが、岐阜県の命令書に「夜間は警鈴を絶えず鳴らす」旨の記載があります

1903年9月 岐阜県、自動客車営業願に対する命令書、第十九条
 「夜中は必ず点灯し絶えず警鈴を鳴らし進行すべし」

 自動的警鈴については文献や資料が乏しく詳細は分かりません。踏切や市街電車にも使用されていることから「カンカン」や「チリンチリン」等の金属打音を鳴らし続けていたと思われます

 導入されたばかりの消防車に警鈴は装着されます。緊急走行時は灯火と警鈴で人々の注目を集めながら、火事場へ急行する様子が伺えます

1914年 無名通信、消防署の活躍
 「今日では其れでも間緩いと云うので、馬を自動車に変えているものが多い。此の自動車が警鈴を鳴らし、篝(かがり)をたいて疾駆する様は、物凄い程 目覚ましい」

 その後、各地の取締令は改定され、警鈴は警音器(クラクション)に変わり、自動的警鈴の文言は無くなります

 馬無し馬車の時代も今も、光と音を駆使して安全を確保するという考え方に変わりはありません。自動的警鈴と現代のAVAS(EV等の車両接近通報装置)は同じ考えですし、赤旗や提灯を持つ先導人の考え方は、特殊車両の先導車として引き継がれています

バス事業五十年史
「大阪で始めてバスが動いた頃、通行人が速度の早い交通機関になれなかったので、危険防止のため自動車の前方を赤旗(夜間は提灯)を振ってエイエイと先払をして道を開いて走ったのは奇観だった」
 

 車両灯火の役割は ”他者との衝突防止” に尽きます。灯火を音と連携して使用するという考えは自然ですし、灯火と警音器を一体化させるアイデアにもつながります

1922年(大正11年)実用新案  「車用喇叭灯器」 (喇叭:ラッパ)

 昔の文献や特許等を見ると、時代を先取りし過ぎた不遇のアイデアを見つけることがあります。先に紹介した「歩行者の足元に癇癪玉を投げつけないと往来を走行できなくなるかも・・」という自転車乗りの嘆きも、一工夫すれば良いアイデアに化けるかも知れません

 賢者は歴史に学ぶと言いますが、私のように歴史を覗くだけの人を賢者とは言いません。歴史から得た知識を未来に活かすことが大切です

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