自動車業界に限らず、エンジニアの多くは新技術の開発に取り組んでいます。特に ”世界初” や ”業界初” などの注目技術を手掛けていれば、ライバルに先を越されまいと必死になっていると思います
開発が無事に完了し、”○○初” をPRしても、その文言や定義について周囲から異議を唱えられることがあります。日産リーフは発売当初「世界初の量産EV」を名乗りましたが、正確性に欠ける表現として疑問視されました。2024年5月のNHK・新プロジェクトXでは「世界初の5人乗り量産EV(1万台以上販売)」とし、表現を後退させています
前照灯の ”初モノ” 技術についても、周囲の同意を得られるまでに時間を要したものや、当初とは異なる形で定着した例が多々あります
名称が物議を醸した ”世界初 LEDヘッドランプ”
2007年5月、レクサスはロービームに初めてLEDを使用した ”LS600h” を発売しました。レクサスは「世界初のLEDヘッドランプ」としてPRしましたが、これに対して一部で反発の声が上がりました

Lexus LS600h、世界初のLEDヘッドランプ
(左端ハイビームはハロゲン、中央下部ターンは白熱バルブ)
理由は「LEDヘッドランプ」の名称です。ハイビームやターン等の光源はハロゲンや電球のままであるのに対し、全ての光源をLED化したと誤解されかねない「LEDヘッドランプ」の表現に、欧州のカーメーカーやランプサプライヤーが疑問を呈しました
欧州では2004年、アウディがA8 Quatro 6.0LのヘッドランプにLEDを用いたDRL(デイタイムランニングランプ)を搭載しています。アウディは「世界初のLEDヘッドランプ」という表現ではなく、DRL機能のみをLED化したことを表す「世界初のLED-DRL」としました

Audi A8 quattro 6.0L、右側発光部がLED-DRL(LED5個 使用)
彼らの流儀によると、LS600hは「世界初のLEDロービーム」としてPRしなければいけなかったようです
アウディは2008年、R8にハイビームやターンを含む全機能をLED化したヘッドランプを搭載し、「世界初のフルLEDヘッドランプ」としてPRを開始します。彼らはR8こそが世界で初めての「LEDヘッドランプ」搭載車と考えました

アウディR8 フルLEDヘッドライト、 Automotive Lighting社(現マレリ社)
R8の発売以降、ドイツ系を中心とする欧州メーカーは、ヘッドランプのLED化に関する話題にはアウディR8を引き合いに出し、時に”フル” の文字を省いて「世界初のLEDヘッドランプ」として紹介するようになります
彼らの論文やプレスリリース、雑誌記事等では不自然に感じるほど LS600h について触れない状態が何年も続きます

欧州光源メーカーの講演資料、右上のLEDヘッドランプはアウディR8



上図 1990年代 : HIDヘッドライト BMW7
中図 2000年代 : フルLEDヘッドライト Audi R8
下図 2010年代 : レーザーヘッドライト BMW
2012年 デザイナーGerd hildebrand氏の講演資料
確かに欧州メーカーの主張は論理的ですが、ヘッドランプの主機能であるロービームを初めてLED化したレクサスの功績が大きいことも事実です。
LS600hが先に「世界初のLEDヘッドランプ」をPRし、世間の認識として広まっていたので、後出しの欧州メーカーの主張にどれだけの人が共感して認識を変えるかどうかが勝敗を決めます
レクサスとランプ製造元の小糸製作所はLS600hを「世界初のLEDヘッドランプ」として論文や雑誌への寄稿、講演等で発表を続けます。2009年7月には R&D 100 awardを “LED Headlamp” のタイトル名で受賞しています
一方、アウディと欧州メーカーはLS600hに触れずに、R8を「世界初のフルLEDヘッドランプ」としてPRを続けるという平行状態が2010年代の半ばまで続きます

転機と思われるのが2014年、欧州メーカーによるレーザーヘッドライトの実用化です。レーザーは追加ハイビームにのみ使用されますが、アウディとBMWはこれを「レーザーヘッドライト」と称してPRを行いました
彼らもレクサスと同様、一部機能にレーザー光源を搭載した段階で「世界初のレーザーヘッドライト」を名乗り始めた為、レクサスの「世界初LEDヘッドランプ」を受け入れざるを得なくなったのでしょう
この頃を境に、欧州メーカーはLS600hを「世界初のLEDヘッドランプ」、R8を「世界初のフルLEDヘッドランプ」として並記するようになります。欧州以外の北米やアジア等の地域では、元々LS600hが世界初のLEDヘッドランプとして認知されていたので、ようやくLS600hの「世界初のLEDヘッドランプ」が定着したことになります
光源は日亜化学工業、灯具は小糸製作所、車両はレクサスというオールジャパンの成果が世界中で認められたことは嬉しい限りですが、後世に正確な史実の記載を求められた場合、LS600hは「世界初のLEDロービーム」という表現に後退する可能性はあるように思います
先出しの勝負が物議を醸した ”世界初のADB”
ADB(Adaptive Driving Beam ; 配光可変ハイビーム)とは、車載カメラで前方車両の位置を捉え、その位置に光を照射しないようにハイビーム配光を自動調整する前照灯システムです
夜間走行の前方視界が大きく改善し、面倒な前照灯のスイッチ操作から解放されることもあり、高級車から軽自動車まで幅広く導入が進められようとしています
開発のトリガーは2000年にBMWが発表した、画像投影プロジェクタを用いて、配光を映像のように細かく変化させる研究論文「Pixel Light」です。実現性に乏しいと思われるコンセプト論文でしたが、これに刺激を受けた多くの企業が水面下で開発をスタートします


BMW論文 「Pixel Light」
2000年代はデジタルカメラの車載が始まり、LED多灯ヘッドランプの技術的な目処が立ち始めた頃です。当初は配光可変ハイビームは夢物語と考えられていましたが、2007年頃になると欧州で配光可変ハイビームの実用化を目指した法規改定の動きが始まります
欧州で法規改定が議論されていた2009年、ダイムラーベンツがドイツ国内法の特別認可を受け、Eクラスに「世界初のADB」と称する aCOL(adaptive Cut-Off Line)式の配光可変ヘッドランプを搭載します

車載カメラで前方車両の灯火光を捉え、その位置に合わせてロービームのカットラインを上下に追従させ、前方車両が居なくなればハイビームに移行するシステムです。ADBの法規改定前であった為、従来法規の枠内で実現させたADBでした

翌年2010年にVW(フォルクスワーゲン)が vCOL(vertical Cut-Off Line)式の配光可変ハイビームを搭載したトアレグを発売します。Eクラスと異なるのは法規改定を織り込んだADBであり、前方車両の両サイドを左右のハイビームで挟み込むように照射しています

aCOLと比較してvCOLは照射範囲が広く、視認性が大きく向上する為、トアレグ以降はvCOL‐ADBが主流になります。やがて「aCOLはADBから除外すべき」という意見が出てくるようになります。aCOLのカットラインの上下可動範囲は水平線以下に限定されていました。水平線より上方に限れば、単にハイビームのON、OFFと変わらなかったからです
2010年以降の数年間、ダイムラーは「世界初のaCOL-ADB」、VWは「世界初のvCOL-ADB」と表現して棲み分けていましたが、2010年代の半ば以降になると、トアレグのvCOL-ADBが「世界初のADB」として呼ばれるようになります
ダイムラーは一番乗りを急ぎ、法規改定前の従来法規で自称ADBを投入して勝負を仕掛けました。しかし後から投入された法規改定後のADBの照射性能とは大差があり、世界初の呼称を諦めざるを得なくなりました。今では ”aCOL”、”vCOL” という言葉も忘れ去られようとしています
製品完成度が物議を醸した ”世界初 レーザーヘッドライト”
2011年~2014年に掛けてレーザーヘッドライト開発が注目を集めました。特にアウディとBMWの2社は世界初に拘り、互いに相手より少し早い販売開始を表明しあう舌戦になります

Laser Battle in Europe
2014年6月、BMWはメディアや著名人を招待し、世界初のレーザーハイビームを搭載したBMW-i8を8名の顧客に納車するセレモニーを開催します。メディアは世界初のレーザーヘッドライトのニュースを世界中に配信しました
アウディはBMWに遅れること4ヶ月後、レーザーハイビームを搭載した限定99台の高級スポーツカーR8LMXの発売を開始します。メディアをBMWを勝者、アウディは敗者として報じました

2014 Audi R8LMX Laser High-beam
ところが BMW i8の購入者がオプション装備のレーザーハイビームを装着しようとしても、装着できないという状況が明らかになります。この状態は2015年になっても解消されず、「BMWのレーザーヘッドライトは開発途上ではないか」との見方が出てきます
一方、アウディのレーザーヘッドライト装着車は99台限定車でしたが、2014年10月の販売開始以降、不特定の顧客がディーラーで購入できる状態にあり、日本にも6台が割り当てられています。2015年になると、R8がレーザーヘッドライトを搭載して一般販売を開始したことから、徐々にアウディが世界初という見方が増えていきます
世界初の定義は定かでは無く、8名の特定顧客といえど最初に納車したBMWを世界初とすべきか、不特定多数への販売を先に開始したアウディを世界初とすべきかは意見が分かれそうです
個人的には、不特定多数に販売可能な車載品質の確保こそが前照灯開発の要諦と考えているので、世界初はアウディと認識しています
悪魔の証明との戦い トラック用ADB
2019年4月に発売された日野自動車の大型トラック・プロフィアに、ADBヘッドランプが搭載されました。プレスリリースには ”国内大型トラック初となる「可変配光型LEDヘッドランプ」の全車標準装備” と記載されています

日野自動車 プロフィア
”大型トラック用” という狭いジャンルを取り上げた理由は、乗用車よりも過酷な使用環境と長期耐久が求められるので開発の難易度が高く、”初モノ” としての価値がある為です
日野自動車のプレスリリースは ”国内初” と紹介していますが、それ以前に海外を含めて大型トラックでADBを搭載したという話は聞いたことがありません。海外では2020年のダイムラートラック、ACTROSのADBが初のようです
日野自動車は何故、”世界初” と記載せずに ”国内初” と控えめな表現を選んだのか、当初は理由が分からなかったのですが、トラックを取り巻く状況を俯瞰すると、”悪魔の証明” が立ち塞がった様子が見えてきます
悪魔の証明とは、 ”存在しないことの証明” の難しさを象徴する言葉です。世界初を名乗るのであれば、世界中の対象を全て調べ、過去に同じ開発品が ”存在しない” ことを確かめる必要があります

”悪魔の証明” と ”ブラック・スワン”
存在しない(ブラック・スワン)と信じられていても、探すと見つかることがある
革新的な新技術であれば、ライバルのトップメーカーだけをマークすれば良いのですが、ADBは乗用車で確立された技術の応用なので、調査対象の範囲が格段に広がります
国内の大型トラック市場は大手4社が寡占し、競合メーカーのラインナップや技術情報を把握することは容易です。海外に目を向けるとトラックメーカーは玉石混交で、架装メーカーを含めた中小メーカーは情報開示も行っていないケースがあり、全てを調べ切るのは多くの費用と時間を要します
開発者には ”世界初” の確信があったとしても、プレスリリース後にブラックスワンが見つかれば、企業の信頼を傷つけてしまいます。確実性が担保された ”国内初” の表現を選んだのは致し方なかったようです
一定規模の企業が ”○○初” を名乗る時は、裏で必ず何等かの葛藤があります。○○には出来るだけ対象が広い簡易な文言を選びたくなりますが、悪魔の証明はより困難になります。そしてメリットとデメリット(ブラックスワン・リスク)のバランスを考慮しなければなりません
現実では ”何も言わない” という無難な判断が多いのかも知れません
最後に ‐ タイムスタンプの変化 ‐
自動車の “世界初” や “国内初” とすべき日付けは ”発売日” とするのが一般的ですが、発売日に ”注文” を受け付けて、数か月後に ”納車” が始まるのだとしたら、納車日を ”初モノ” の日付けとすべきように思います
そもそも発売日という言葉の定義が曖昧で、日本自動車販売連合会のサイトを見ても、定義らしきものが見当たりません。更にはティーザーのような ”予告” や ”車両公開”、”正式発表” など発売日とは異なるイベントも多数あります
テスラのようなネット販売がメインの場合、イベントは ”予約”、”注文”、”納車” となります。サイバートラックは2023年12月1日が ”予約開始” 、2024年12月1日が ”納車開始” でしたので、”初モノ技術” のタイムスタンプは、納車開始日の2024年12月1日になります
しかしネット販売の納車開始日を第3者が検証できるのでしょうか? 最大手のテスラは世界中の大衆による監視の目がありますが、そうではない中小メーカーの場合、納車日に一般人に対して本当に納車したかどうかを確かめるのは難しいように思います。未完成な状態でも身内に納車して ”納車開始” を宣言するケースが出てくることも考えられます
世界一の認定はギネス社が有名ですが、世界初についても同様の認定をしてもらえれば ”初モノ” の新技術を目指す開発競争がもっと盛り上がるかも知れません