現代の前照灯は1920年代に確立された2ビーム方式が採用されています。普段はハイビームで走行し、前方に他車がいる時はロービームに切り替えます

しかし交通量が多い道路では殆どの時間をロービームで走行せざるを得ず、視界が手前に限られる為に歩行者との衝突事故は後を絶ちません。光軸不良や道路の起伏で光軸が上を向いたり、ハイビームの不適切使用などによるグレアの問題は1920年代から解消されていません
ここでは前照灯開発の先人達が、2ビーム式前照灯に代わる ”理想的な前照灯” を目指し、実現に取り組んだものの叶わなかった挑戦の歴史をまとめます
1910年代 前照灯グレアの増大
1910年以前の前照灯は、前方を照らすだけのハイビーム機能しかありません。明るさはランタンやアセチレンガス灯しか無かった為、現代の数10分の1以下に留まり、グレアは大きな問題ではありませんでした
1910年代に入ると、高級車にオルタネータやエンジンスターター等の電装システムが実装され、電球式前照灯が搭載されるようになります。最大光度は現代の前照灯に迫る3万カンデラに達し、直視困難な強いグレアを対向車に及ぼすようになります

1914年頃、前部に電球式前照灯、屋根にアセチレンガス式前照灯
1915年頃にはフォード・モデルTなどの大衆車が電球式前照灯を搭載するようになり、夜の道路は眩しい光で溢れるようになります
1910年代後半 2ビーム式前照灯
米国では1915年以降、各地で眩しい前照灯の使用が禁止されます。市街地では「前照灯を暗くせよ」の看板が掲げられ、前照灯の配光法規が制定されますが、光度規定の無い曖昧なものでした

1915年 マサチューセッツ州、前照灯の配光法規
A 前方150 ft(45.7m) が見えること
B 前方 50 ft(15.2m)、高さ3.5フィート(1.07m) より上方が眩しくないこと
C 前方 10 ft(3.5m)、左右 10 ft(3.5m) が見えること
前照灯の規制を受け、キャディラックやビュイック、オールズモービルなどの高級車メーカーは前照灯を下に傾ける機構を取り付け、或いは電圧を下げて暗くし、或いは明るさの異なる複数の前照灯を装着するなどの対策を進めます
1918年にSAE(米国自動車技術者協会)とIES(米国照明学会)が具体的な光度規定を策定します。米国には旧型の眩しい前照灯を装着した車両が数百万台も走行していましたが、これら従来車両は新型の眩しくない前照灯に交換するか、旧型前照灯を改造する必要に迫られます
下の写真は、旧型前照灯の眩しさを抑える改造方法を記した、マサチューセッツ州のガイドラインから抜粋したものです

電球の取り付け位置をリフレクタの焦点より後方に移動して固定する

前照灯を装着して表面レンズの上半分を黒い板で遮光する


左:調整前の配光 右:調整後の配光
1920年代に入ると、ハイビームとロービームを使い分ける ”2ビーム式前照灯” の搭載が義務化されます。1924年にダブルフィラメントバルブが実用化されると、1つの灯具でハイビームとロービームを切り替えられるようになり、現在の前照灯の基本形が確立されます
しかしロービームでは手前しか照らすことが出来ず、光軸が上向きになった場合やハイビームの不適切使用によるグレアの問題は残ります
当時から2ビーム式前照灯では ”視認性と防眩の両立” は十分では無いと考えられており、ここから新たな前照灯システムを模索する動きが活発化します
1920年代~20世紀末 黄色光前照灯
前照灯グレアを抑制する1つの方法として、黄色光や緑色光を利用するアイデアが試されました。19世紀以前から黄色~緑色の有色光は眩しさを感じ難く、雨や霧の透過率にも優れると考えられていました
20世紀に入り電球式前照灯のグレアが問題になると、黄色前照灯の研究が盛んに行われるようになります。欧州、米国、日本で研究が進められる中で、最も力を入れていたのがフランスです
1926年にフランスCIBIE社が開発した黄色フォグランプは、その年のルマン24時間レース出走車に装着され、1位から3位を独占する好成績を収めます。1930年代に入りフランス科学アカデミーは「黄色光は運転時に疲労を軽減させる効果がある」との研究成果を報告します
フランス政府は1936年11月に黄色前照灯の義務化を決定し、1937年以降に生産される全フランス車に黄色前照灯が装着されることになります

黄色前照灯、オールドフランスの象徴
1930年代は欧州で街灯にナトリウムランプが使われ始めた頃です。暖色系の光が雨や霧でも見易いと市民の評判になっていたことも、フランス政府の法制化判断を後押ししたと言われます
しかし色覚は個人差が大きく、暗闇における視認能力と明るさ感、眩しさ感は一致しないことが徐々に明らかになります。1968年に英国で行われた研究では、霧における黄色光の視認性は白色光比+3%とされ、それまで考えられていた顕著な効果は否定されます
他の研究も同様の結果を示し、現在では、白色光を黄色光に変換すると光量低下のデメリットが大きい為、白色光をそのまま使用した方が良いと考えられています
フランスは1993年に黄色前照灯の義務化を廃止し、日本は2006年以降の生産車から黄色前照灯の装着を禁じています。但しフォグランプに関しては、過度の明るさは視認性を妨げる可能性があり、黄色光は霧の中で見易いという特長を活かせる為、淡黄色を選択することが許されています
1920年代~1970年代 ミドルビーム
1920年代初頭に2ビーム式前照灯が確立された後、ハイビームとロービーム以外にミドルビームを追加した3ビーム式や、更に4ビーム式、5ビーム式などのマルチビーム化の模索が始まります
初期の前照灯は光量が少なく、ハイビームとロービームは前方の狭い範囲を集中して照らしていた為、周囲を幅広く照らせるように照射範囲を広げた ”第3のビーム” が必要と考えられました

3ビーム方式・イメージ
1933年 PACKARD、市街走行用ミドルビーム
1929年に米国株式市場で始まった株価暴落により世界中の高級車が販売不振に陥る中、米国の高級車メーカー PACKARD社 は ”PACKARD TWELVE” に数多くの新技術を搭載して巻き返しを図ります。その1つがミドルビームを備えた前照灯です
3種類のフィラメントを1つの電球に搭載し、点灯フィラメントを切り替えることでハイビームとロービーム、ミドルビーム(City driving beam;市街走行用)の3種類の配光を備えます

1934 PACKARD TWELVE COUPE
1934年 NASH Motors、ミドルビーム
米国ウィスコンシン州の高級車メーカー「NASH Motors」は、ロービームとハイビームの中間配光のミドルビームを実装しました。運転席側ライトをロービーム、助手席側ライトをハイビームにすることで右路肩の遠方視認性を確保し、左車線側の対向車へのグレアを抑制します

https://en.wikipedia.org/wiki/Nash_Motors#/media/File:Nash_4-Door_Sedan_1934.jpg
1934 NASH Ambassador Eight 4-Door Sedan
1969年 FORD、SUPER‐LITE
FORDは夜間に歩行者の視認性を向上させることを目的とした、追加型ミドルビーム ”SUPER LITE” を開発します。PolaraとMonaco にオプション設定された後、米国連邦法 FMVSS108に規定されない ”任意装着ランプ” として市販します

https://justacarguy.blogspot.com/2020/02/trivia-heres-one-year-only-option-on.html
1969 Monaco and Polara グリル右側にSUPER-LITEを搭載
SUPER LITEは歩行者の胴体を照射する為のスポットランプ配光で、頭部には光を当てないようにシャープな水平カットラインを有しています
当時の前照灯はシャープなカットラインを形成することが難しく、自動車用では初のプロジェクター光学系が採用されています。シビアな光軸調整が課題とされましたが、80Wの高出力バルブを使用し、片側1灯とすることで光軸調整の手間を半減させています

https://www.hagerty.com/media/maintenance-and-tech/space-age-dodge-super-lite/
上段:ハイビーム 中段:スーパーライト+ロービーム 下段:ロービーム
1970年代~1980年代 FORD、ミドルビーム研究
1970年代、FORDはミドルビームの可能性を探るため、最新技術のコンピューターを導入し、視認性とグレアの関係について研究を開始します
前照灯を明るくすれば歩行者の視認性は向上します。しかし周囲のデリニエータの反射光で、逆に歩行者の視認性が悪化する場合があります。FORDは実際の道路形状を想定し、デリニエータや対向車の位置を変え、様々な照射パターンを組みあわせて歩行者の視認性やグレアの影響を計算しました

https://deepblue.lib.umich.edu/bitstream/handle/2027.42/704/27675.0001.001.pdf?sequence=2
1973 FORD論文 左からロービーム、ハイビーム、ミドルビーム
1970年代前半はミドルビームの有効性を示すレポートが報告され、NHTSA(米国運輸省高速道路交通安全局)も法制化に前向きな姿勢を示します
しかし1970年代後半になるとミドルビームで得られるメリットより、道路形状や光軸調整のバラつきによる悪影響が大きいと指摘されるようになります。更に2種類のビームでも適正に使い分けることが出来ないドライバーが多い中で、新たなビームを追加することへの懸念が生じます
研究は1980年代半ばまで続けられましたが、ロービーム配光を改善すればミドルビームは不要との見方が大半となり、ミドルビームの法制化は見送られることになります
1930年代~1980年代 偏光前照灯
偏光を利用して ”眩しくないハイビーム” を実現するアイデアです。20世紀で最も多くの開発者と時間が投入された前照灯開発の1つで、日本では ”偏向前照灯” とも記されています
斜め45°偏光を照射する前照灯と、斜め45°偏光の透明バイザーを組み合わせることで、対向車の偏光グレアを自車バイザーでカットします。全車両が同システムを搭載すれば、理論上は全車がハイビームでもグレアを感じずに走行することが出来ます
実験で有効性が確認された為、世界中の前照灯技術者が実用化に向けて開発に取り組みますが、全車両が同システムを装着する必要があることと、エネルギー効率の低さや歩行者への過大なグレアなどの諸問題を解決することが出来ず、実現には至りませんでした

対向車の偏光ハイビームを自車偏光バイザーで遮光
偏光前照灯の最初のアイデアは1920年の特許に見られます。当時は安価な偏光フィルターの製法が確立しておらず、試作や実証実験が行われることはありませんでした


偏光前照灯による最初の防眩システム特許 US2087795A
1928年に米国のEH-LAND氏が2色性色素偏光フィルターを発明します。これにより偏光フィルターの安価な大量生産が可能になり、EHーLAND氏は偏光前照灯の実現に取り組みます
1936年にSAE(米国自動車技術会)で偏光前照灯のデモンストレーションが行われ、法制化の議論が始まります。しかしフランスで黄色バルブを製造するYvel電球会社が偏光前照灯に反対を表明します
1938年 Yvel電球会社による反対意見
・光学系の効率が低い為、通常の5~8倍の明るさが必要
・前照灯の大きさが√5~√8倍の大きさが必要
・前方の見え方が悪い
・偏光フィルターを使わない人に多大な眩しさを与える
1937年にポラロイド社を創業したEH-LAND氏は、インスタントカメラの開発と並行して偏光前照灯の研究を続けます。1948年の論文「The Polarized headlight system」では、偏光前照灯は実現可能であり技術的な問題は残されていないと主張します
しかし、米国自動車製造業者組合AMA が偏光前照灯の問題点を指摘します
1952年 AMAが指摘した問題点
・運転者以外の乗員にも偏光バイザーが必要
・対向車との中間にある自動車側面からの強い反射光をどう防ぐか
・前照灯の光を今以上に強くした場合、歩行者への眩惑をどうするか
1973年、Highway Research Recordの研究論文では、偏光前照灯によるグレア抑制効果を認めた上で、課題は「全車両が偏光前照灯システムを装着するまでの移行期間に生じるグレアの対策」と指摘します
1973年 HRRの研究結果
・対向車に幻惑を与えることなく前方の視界を明るくできる
・従来のロービーム、ハイビームと比較して運転の疲れが少ない
・夜間走行の安全性、快適性が高まり、交通流が改善される
・課題は偏光フィルター非装着車との混流交通で生じる種々の問題への対処
世界各地で同様の検証が行われ、グレア抑制効果は確認されていましたが、偏光バイザーを持たないクルマや歩行者へのグレアが通常ハイビームよりも過大になるという問題について、良い対策が見つかりません
やがてオイルショックが起きると自動車メーカーは車両コスト上昇を懸念し、環境意識を高めた消費者は、偏光フィルターで光を1/2以上失う偏光前照灯を省エネに逆行する技術とみなすようになります
法制化や標準化に踏み切れずにいる間に、明るいハロゲンバルブの普及が始まり、人々の関心は眩しさの抑制よりも、目の前の明るさに惹かれていきます。1980年代後半に更に明るいHIDバルブの開発が始まると、偏光前照灯の研究は忘れ去られてしまいます
1950年代 側方・後方照射灯
対向車とすれ違う際に、自車と対向車の双方が前照灯を消灯し、代わりに互いに側方照射灯や後方照射灯を点灯することで、お互いの進行先を照らし合うアイデアです

左:互いに側方照射 右:互いに後方照射
実験では2台が通常走行速度ですれ違い、前照灯や側方照射灯、後方照射灯の点灯消灯タイミングを調整して効果の検証が行われました
しかし結果は芳しく無く、有効と思われる状態は一瞬に過ぎなかったことから、実用性に乏しいアイデアと結論付けられています
1950年代~1960年代 前照灯自動切替装置
ハイビームとロービームの切替え操作を自動化することで、ハイビームからロービームへの切り替え忘れを防止し、快適性と安全性を向上させる装置です
現代は ”オートハイビーム” の名称で広く普及していますが、ここで取り上げるのは20世紀半ばに登場し短期間に姿を消した初期の製品群です


左: GE オートロニックアイ 右:小糸電機(現 小糸製作所)セーフティアイ
1952年にGE社が世界初の前照灯自動切替装置 ”Autronic‐Eye” を実用化します。1953年式のキャディラックやオールズモービルへの搭載で話題となり、日系の自動車メーカーや部品メーカーも開発に着手します
”Autronic-Eye” は受光器に真空管、アンプにトランスを使用したのに対し、日系メーカーは硫化カドミウムの受光素子とトランジスタを使用し、装置の小型化と低コストを図ります。1960年前後に複数社から販売が始まるものの、未検知や過検知が多く、ユーザーの期待には届きませんでした
1960年代後半になると人々の関心は薄れ、センチュリー等の一部高級車のオプションとして1980年頃までは残されるものの、それ以降は市場から姿を消します

前照灯自動切替装置が再び脚光を浴びるのは、CCDカメラが受光素子として車載に応用される2000年以降になります
1980年代~1990年代 UV前照灯
目に見えないUV光(Ultraviolet:紫外光)を照射し、蛍光で暗闇を可視化するアイデアです
衣服に使用されるナイロン、木綿、ジーンズ等は、洗剤の蛍光増白剤によりUV照射で蛍光発光します。実験では歩行者の視認距離はロービーム75mに対し、UVハイビームでは150mに達し、視認性の改善効果が確認されます
道路標示や白線、デリニエータにも蛍光剤を混入し、道路形状を見易くする工夫も行われました。しかし、UV光による健康被害への懸念を払拭することが出来ず、実用化は見送られることになります

UV前照灯による前方視界(白線、標識は蛍光剤入り)

従来ロービームによる前方視界
始まりは1980年代半ば、欧州連合はITSや自動運転の実現を目指すプロメテウス・プロジェクトに巨額の予算を投入します。その中の1つのプロジェクトとして、省電力で明るいHID前照灯の実現を目指す VELIDIS(Vehicle Discharge Light System)がスタートします
HID光源の副産物であるUV光は樹脂類を劣化させる為、光源メーカーはUV光の抑制に取り組みますが、スウェーデンの ”LABINO社” はUV光を活用したグレアレス前照灯のアイデアを思いつきます
LABINO社はスウェーデン政府の支援を受け、VELIDISプロジェクトに参画します。光源はオランダ・フィリップス社、灯具はドイツ・ヘラー社が担当し試作ランプを製作、実験では歩行者の視認距離が最大2倍(75m → 150m)に伸びたことから、VOLVO社は次期S740、S760への採用計画を発表します

FHWAの実験車、グリルの黒色3ユニットがUV投光器
一方、HID光源を開発中のGE社等は 「UV光は目や皮膚に悪影響を及ぼす」とし、実用化への懸念を表明します。1989年にVOLVO社は 「紫外線曝露に対する安全評価基準の確立を優先する」 として搭載を延期します
1990年にLABINO社とボルボ、サーブ等はUV前照灯の法制化と実用化を推進する為、合資会社 ”UltraLux社” を設立、スウェーデン道路管理局のARENAプログラムの下で研究を進めます
UltraLux社はUV光の安全への懸念を払拭する為に、UV照射ユニットをトラックのルーフ部に移動するなどの対策を進めます

1995年 VOLVO Environmental Concept Truck
UV光の安全性評価基準は国際照明委員会CIEで検討が始まりますが、評価基準の策定は思うように進みません。UltraLux社は、UV前照灯の紫外線は発癌性が低いUV-A(315nm~400nm)であり、太陽光のUA-A成分より少ないと主張しますが、安全性を担保する根拠とはみなされませんでした
結局、CIEが策定した安全な曝露レベルは保守的な低い数字となり、それ以上の曝露レベルは段階的に危険が増すというガイドライン的な提示に留まります。VOLVOが望んだ安全性の裏付けは適わず、健康への懸念を払拭できないUV前照灯の実用化は難しくなります
1990年代後半にHID前照灯の普及が本格化すると、自動車メーカーの関心はHID前照灯に移り、次第にUV前照灯への興味を失っていきます
2000年代~ 赤外線ナイトビジョン
赤外線カメラの映像をHUDやモニターに表示し、夜間の視界を確保する装置が赤外線ナイトビジョンです。ナイトビジョンの種類は近赤外線を照射して反射光線を撮像するアクティブ型と、熱源が放つ遠赤外線を撮像するパッシブ型の2種類で、現在は殆どがパッシブ型です |

ナイトビジョンは前照灯ではありませんが、グレアを与えずに視界を確保できる為、前照灯の代替技術として注目を集めました。しかしHUDやモニター画面を凝視して運転することは難しく、やがて視界支援には向いていない装置と考えられるようになります
現在、赤外線ナイトビジョンは一部高級車にADASセンサーとして搭載され、障害物の回避や注意喚起に用いられます。視界支援機能は補助的な位置付けとなり、メーターディスプレイ等に映像が表示されます

1999年 世界初の自動車用ナイトビジョン、GMキャディラック
ナイトビジョンは1930年代に軍事用として開発されます。車載応用は1999年のGM・キャディラック・ドゥビルから始まり、レイセオン社が遠赤外線ナイトビジョンを開発、映像はデルファイデルコ・エレクトロニクス社のHUDに表示します。オプション価格は本皮シートとセットで約120万円です
日系メーカーはトヨタが近赤外線ナイトビジョンを2002年ランドクルーザー、2003年クラウンに搭載します。ホンダはステレオ式・遠赤外線ナイトビジョンを2004年レジェンドに搭載します。オプション価格は30万円~55万円です
その後、日系メーカーではレクサスが近赤外線ナイトビジョンを上位車種にオプション設定しますが、視界支援機能としてのナイトビジョンは実用性に乏しいと判断され、2012年式レクサスGSへの搭載が最後になります
欧州では高級車を中心に遠赤外線ナイトビジョンの採用は継続しています。主に自動ブレーキや車線逸脱防止等のADASセンサーとして使用され、視界支援機能としては使われていないようです
2016年 PWM前照灯+高速シャッター眼鏡
高速点滅するPWM(Pulse Width Modulation)前照灯と、高速シャッター眼鏡を同期させることで対向車グレアを抑制するアイデアです。2016年 CESで Valeo社が “Les Lunettes” の名称でコンセプトを発表しました

2016年 ”Les Lunettes”
自車の前照灯が点灯している時間はメガネの透過率を上げ、消灯時はメガネの透過率をゼロにします。自車が照らす前方領域は明るく見える一方、対向車前照灯のグレアだけを低減します


左: 防眩メガネ 右: 裸眼
Valeo社のPR動画より 対向車グレアのみを抑制できる
原理については、日本で昭和31年に出願されている類似アイデアで説明します。下の特許図は人間の目に見えないスピードでハイビームを高速点滅し、消灯時に自車フロントウィンドウを遮光するシステムを描いています。互いに同期をずらすことで、眩しくないハイビーム走行を実現します

このシステムの長所は対向車が通常の前照灯であっても、遮光時間の比率だけ対向車グレアを減らすことができます。自車はロービームを高速点滅させれば、対向車にグレアを与えることはありません
現状は高速シャッターの応答速度や透過率が十分では無く、実用化はまだ先になりそうです。例えば液晶素子は透過率が最大でも50%以下で、夜間運転用サングラスのJIS基準75%以上を満たすことができません
2017年以降、Valeo社からのプレスリリースは無く、特許も確認できないことから開発は進んでいないようです。しかし開口率が高いMEMSシャッター等、グラス側の新技術が開発されれば、実用化に向けて再び動き始めるかも知れません
まとめ
前照灯が抱える ”視認性と防眩の両立” という難題に対し、1920年代に2ビーム式前照灯が確立されて以降も多くの技術やアイデアが試されました。しかし導入コストや移行期間に生じる諸問題に対応出来ず、いずれも実用化には至っていません
その間、2ビーム式前照灯の性能向上と改良が粛々と続けられました。左右非対称配光やオールウェザーシールドビームの開発、クリーナーやオートレベライザーの装着、前照灯テスターを用いた光軸調整などはその一例です

1936年 米国イリノイ州・ウェーバー社の前照灯テスター
今後も暫くは2ビーム式前照灯を使い続けることは間違いありませんが、そう遠くない未来に、別の前照灯システムに置き換わる可能性が見えてきています。その有力候補は2010年から実用化が始まったADB(配光可変ハイビーム)です
ADBとは車載カメラで前方車両の前照灯や尾灯を検知し、ハイビームの一部を消灯又は減光し、前方車両にグレアを与えないように配光を自律制御する前照灯システムです

ADBの配光イメージ、前方車両を選択的に遮光
システムが正確に作動すれば、ドライバーは前照灯スイッチに触ることなく、視界確保と防眩を両立した状態で走行することが出来ます。そこにはハイビームやロービームを切り替えるという2ビーム式前照灯の概念は存在しません
現状は自律制御がまだ不完全であり、他車にグレアを与えてしまう場合は手動でロービームに切り替える必要がありますが、技術が向上すれば2ビーム式前照灯は不要となり、ADB(配光可変型前照灯)が標準搭載される時代が来るかも知れません
実は、現状の保安基準はこの流れを先取りした内容になっています。第32条1項に ”走行用前照灯” 、同4項に ”すれ違い用前照灯” が規定されていますが、配光可変前照灯を備える場合はこの限りではないと記されています
保安基準 第32条1項
自動車の前面には、走行用前照灯を備えなければならない。ただし、当該装置と同等の性能を有する配光可変型前照灯(夜間の走行状態に応じて、自動的に照射光線の光度及びその方向の空間的な分布を調整できる前照灯をいう。以下同じ。)を備える自動車として告示で定めるものにあつては、
この限りでない。
同 4項
自動車の前面には、すれ違い用前照灯を備えなければならない。ただし、配光可変型
前照灯又は最高速度20キロメートル毎時未満の自動車であつて光度が告示で定める基準
未満である走行用前照灯を備えるものにあつては、この限りでない。
100年以上も続いた2ビーム式前照灯が、いつADBに置き換わるのかは予想できませんが、技術の進化と自動化の流れは止まりません。完全自動運転が実現すれば前照灯は不要になるとの見方もありますが、それよりも一足早く、ADB前照灯の完全自律制御が実現すると信じています